ones-house 補足と感想と考察と雑記

Ones House についての、説明補足と、やっていての感想です

後継1

何かを成し遂げている訳でもなく、
えらく気の早い話だとは重々承知なのですが、
自分の後を継いでくれる人を、
どう見つけたら、
どう育てたら良いのかと言うことを、
具体的ではないながらも、
頭の片隅では考えています。
逆を言えば、
何か成し遂げてからでは、
恐らく間に合わないだろうと、
それ程時間の要することだとも。
そしてそれは、
ある種の自分の行動の指針でもあります。

何を継いで貰うかと言うのは、
自分の持ちえる技術と言うよりは、
西脇に身を置き、
発表を含め作品制作をする人を、
30年40年と経ち自分がいなくなった後も、
残せるかと言う事で、
自分が伝えたい写真の価値観を、
本当の意味で理解してもらうには、
自分の一生くらいではまだ足りず、
あくまで途切れず永遠と継続していかない限りは、
足りないのではないかと。
途切れた時点で、
結局、
何もしなかったかと同じ様に、
忘れ去られるのではないかと言う懸念があります。

それは何も西脇に限らず、
東京と言った都市部においても同じことだと思っていて、
(ただ都市部ではその後を継ぐ様な、
近い価値観の人が多くいるからさして気にならないことかもしれませんが)
あくまで現在形で活動している人がいるからこそ、
価値観と言うものは存在し得るのだと思いますし、
たとえばギャラリーにしたって、
そのギャラリーを知っている人が、
その後も活動しているからその存在が認知される訳ですし、
どの様なことにしろ何かを成し遂げたからと言って、
その後いつまでも人の記憶に残るとは限らないと思います。
作家なりその活動もまた然りだとも。

後継2につづく

自宅に来られる場合の手紙について

自宅に来られる場合、
手紙での予約をお願いしているのですが、
下記内容を記載していただけると、
スムーズかと思いますので、
参考にしてみてください。

・名前
・候補日    (2、3候補日がありますと、
         対応しやすいかと思います)
・電話番号    (当日は電話に出られるようにしておきます)

返事にて候補日の中より在宅可能な日取りと、
自分の連絡先(携帯)をお送りします。
時刻は指定していただければそれにこちらが合わせますし、
当日決める場合は大阪なり、
電車(バス)に乗る前に連絡いただければ、
こちらで逆算して西脇市駅か野村バス停まで、
迎えに行くことも可能です。

自宅と言えどギャラリーにしている部屋は入り口すぐの部屋ですし、
お気軽に来て貰えばと。

初めての場合は中々気後れする気もしますが、
一人で暮らしているので本当にお気軽に。
ただ突然来られた場合、
岡山や大阪、はては東京に帰省していることもあるのと、
予定をずらせない場合もあるので、
来られる場合はくれぐれも早めにお手紙ください。

要はいきなり来られて、
留守の場合、責任が持てないので、
ややも面倒なやり方をしています。
何卒ご理解いただけましたらと。
ではでは。

線と点

昔やったギャラリーでの展示でも書きましたが、
自分は人の作品を観る時と同様、
自分自身の作品、撮影の時にも一観客で、
言えば自分の好きな作品(現実の風景)を撮っていると言うか、
記録している訳です。

ただ漠然と記録(撮影)しているかと言えば、
そうではなく、
特に自分の好きな要素が目立つ様に撮影している訳で、
作り手側ということを考慮すれば、
その好きな部分と言うものが、
こだわりと言えないこともない訳です。

要素の一つとして線があります。
特に東京で撮影していた頃の写真とかは、
線の部分だけを抽出した画像と、
実際の写真とで、
自分の中で大きな相違はありません。
中間調を綺麗に出そうといった気はさしてなく、
濃度をややつぶれ気味にまであげるのも、
(要は濃い目、暗めにプリントします)
線の要素が自分の主だった好みで、
その要素が分かりやすく出るからだったと思います。

ただ、
極端なハイコントラストにしなかったのは、
非現実感の強調が過ぎるからで、
特に意図なり意思を持たない場合には、
極力現実に近い、ノーマルの方が、
逆に求める要素が際立つ中との考えの故です。

ただ、
一つに線といっても、
自分が好きなのは立体物の輪郭線が、
層状に折り重なり、
何ともいえない調和を見るときなので、
水泡の重なりとか、曲線的なもの、
またレーザーによるコンサートで見られるような感じの描写は、
特に好みではありません。
立体、というよりかは、
どこか面を意識できることが望ましいと言うか。
ですから造形としては四角が好きで、
そう言った傾向は他の人の作品を見るときにおいても、
分かりやすく表れていると思います。
ジャンルも写真に限らず、
以下の様な作品や、
2013.9.17-9.28 ギャラリー現 ダニエル・ゲティン稲垣遊2BLKS
あとはグラフィックデザインの本とか、
古本屋等でついつい見てしまいます。

あとは横尾さんの、
特に若い頃のポスターとかは好きで、
自宅の部屋に飾ったりしています。

もう一つ自分が好きな要素として点があります。
元々長野重一さんの影響が強いと思うのですが、
遠くにポツンと何かあるというものに惹かれます。
写真以外のジャンルですと、
幻の光と言う映画のロングショット(引き画、広い感じの構図)で、
主人公の女性が画面の端から端まで歩くのを、
ただ永遠とカメラに据え置きで捉えられたものがあるのですが、
そう言ったものは好きな傾向があります。
あとは服飾におけるワンポイント的なものとかも似てるかなぁと。

和装の花嫁衣裳、~高島田(?)と言うんですかね、
それに舞妓さんなどの、
お白粉の下地に、口に紅を控えめに塗ることで、
全体が映えるあの感じがするものは、
割りにどれも好きです。
華の散る頃のDMに使用した、
桜の散った花弁の中、椿の花弁がチョコンチョコンとある
(分かりにくいですが)あの感じも、
舞妓さんの紅をさすのと、
多分同じ惹かれ方で撮っていたと思います。
(ただそれを暗喩している訳ではありません。
光景として綺麗だなと)

自分の場合は記述の様に、
主だった所で線(面)と点の要素を街の中で見つけると、
ついつい撮ってしまいます。
まぁ、自分の定番的な好みと言いますか。
その取りまとめ方を改めて考えると、
まず点を打って、それに面を重ねていくのが、
自分の写真への画面のまとめ方な訳です。
勿論そうではない場合も多々ありますが、基本的には。

構造的には恐ろしく簡単なので、
誰でも撮ろうと思えば撮れるとは思うのですが、
常にそのアンテナを貼れるかというと、
これは中々難しいのかと思います。
と言うか、その必要はまるでないのですが、
自分の場合はそういった傾向が趣向として定着しているので、
そう言ったものが目に入ると、自然と反応します。
逆にそう言ったものを特に好んでない人は、
意識的に探そうとしなければそれに気付きません。
それが一つに作家の個性なのだろうし、
ある種強みになるのかと思います。

そして、それぞれの作家がそれぞれに、
反応するアンテナを有していて、
それぞれに違うのが自分などは面白いのかなぁと思います。
どれが良いと言う訳でなく、
それぞれに違った視線で街を見ていて、
それぞれの良さが写真に表れるわけですね。

ここまでが基本的な自分の写真の要素としてあって、
言わば構図として惹かれる要素ですね。
そして西脇に来てからはカラーで撮影しているのですが、
上記の要素に色の好みが加わる訳です。
東京でも西脇に移る1、2年前位より撮ってはいたのですが、
基本的にはモノクロでしたので、
西脇に来てからカラーは本格的に撮りだしたと言いますか。
言えば輝度差によってモノクロで成していた部分を、
捕色性に置き換えて、
とも、色々なのですが、
これはまた別の機会にでも。
ではでは。

ギャラリーの役割についての雑感

ギャラリーは勿論のこと、
作品発表が第一義なのですが、
(細かく言うとアーカイブ性・作品管理とか、
もっと色々あるのかとは思うのですが)
振り返り考えてみると、
情報が集約されるその媒体、
また、写真家と写真家及び写真関係者をつなぐ、
場としての側面もあったように思います。

自分の場合、清澄で運営に参加していたギャラリーと、
新宿御苑および新宿三丁目のギャラリーにずっと出入りしていて、
写真関係の知り合いとはそこで大半の人とは知り合った気がします。
他にもありますが、
基本的にはギャラリーを介して知り合いましたし、
それ故に連絡先は特に知らないけれど、
そこに行けば会えるだろうと割り切っている人も多々います。
帰省の折、約束をしてるわけではなしに、
ばったり会う人も多いです。

情報集約の媒体と言うことを、
もう一歩進めて考えると、
ある種ギャラリーがメディアとして機能していると。
つまりはそこに出入りしているお客さんが、
情報授受者兼記者に似た役を担っている訳ですね。
展示の評判なりイベント開催情報、
暗室技術から印刷物、告知のやり方、
新機種の操作性
(自分達はフィルム中心だった為デジタルはそんなでもないですが)、
あとは本に書かれていないような、
過去の写真の業界の情報やら何やらかんやら。
自分はギャラリーに立ち寄ることにより知った、
と言う場合が殆どだった気がします。
写真雑誌等は、そう言ったものを、
万人に向けていっても大丈夫なものを、
紙面上でまとめていると言った意味合いのもので、
特に情報を得るためのものではなかったと思います。

西脇に身を置く現在は、
写真を専門としたメディア(ギャラリー)がない訳なので、
webか雑誌、あとは知り合いとやり取りしている手紙の中で、
情報を得るしかない訳です。
しかしながら写真に限らないことで言えば、
良く行くコーヒー屋さんや呑み屋が、
ある種のメディアな訳で、
そこより西脇の情報を得た感があります。

写真に関することについてはまだ、
自分は知っている方だとは思うのですが、
それを伝える場もなければ、受け取る固定した場もない訳で、
(知らないだけかもしれませんが)
写真の情報を知るという意味では、
ギャラリーが多いことによって得る部分と言うのも多いのかなと。
勿論写真に詳しい方もいるのでしょうが、
それぞれ個人によって調べた情報に留まり、
地方においてはそう言った個々の情報の集約媒体と言うものが、
都市部に比べ弱いのかなぁと、今のところ思います。

あと、
昔より写真の雑誌なりマスメディアに対し、
全国の情報を網羅しようとするのであれば、
地方局と言うものが必要なのではないかなと思うも、
雑誌の売り上げが伸び悩む中、
まぁ現実的ではないわけですが、
地方におけるギャラリーがその役割を担えたら、
良いのになぁとか思います。

ただそれにはあくまでギャラリーに情報が集約される、
その環境が必要で、
多くの人が足を運びやすいことがまずあって、
そうを考えるとギャラリーは常々開いている必要がありますし、
そうなると発表する人も展示が途切れないよう、
多くいなくてはいけない。
ギャラリーの人も、作品の売り込み
(なぞしてるかなぁと言う気もしますが)に限らず、
お客さんと話さなくてはならないし、
もとより在廊も常にしなくては、
と、
全て、自分の勝手な希望なのですが、
展示の良し悪しもさることながら、
ギャラリーの役割として、
そう言った部分が機能することが望ましい気がします。

また、よく地方のギャラリー訪れる人に、
どうやって展示の情報を知るのですがと聞くと、
大概がピンポイントでそのギャラリーのwebサイトを見るといいますが、
ギャラリー側も、
自分が足を運び交流のあるギャラリーには
リンクを貼って貰えたら遠方のギャラリーにも足を運びやすくなるのでは、
ギャラリーに限らず観光スポット、食べ物屋…となると、
写真ギャラリーとしての品格が損なわれるのかな?
でも実際そう言ったものをまとめて調べられると、
行きやすくはなるのになぁとは思います。

まぁいずれにしても、
地方はメディアが乏しい訳ですね、
雑誌社がないことに限らず、
情報が飛散してると言うか。
多分どこか集約されている場所はあるのでしょうが、
それがどこなのかが何とも分かりにくい。
そして東京から発信されるマスメディアの情報が、
強く影響してしまう様な。

逆に東京では、
ギャラリーで必要な情報はほぼ揃ってしまうから、
雑誌社との交流を必要としていなかった様な。
知り合いや自分のギャラリーが掲載されても特に気にせず、
実際、明確な反響がある訳でもないので。
(まぁ、自分達の告知不足の感もありますが)

あとはweb、自分が現在やっている自宅、壁面の展示も、
情報の集約と言う意味ではまだまだ機能を果たしていないですね。
期間中、確かな場を有して開廊しているギャラリーは、
やはり仮想空間(web)や閉じた中にあるものより、
明確に存在感というものがあるのだと思います。
たとえwebの方が沢山見られたとしても、
あくまでwebは発信だけの片側一方向で、
ギャラリーにおける双方向の流れを考えると、
(↑情報集約の場という考えが正しいと仮定した場合ですが)
webの500より実在の50の方が得られえるものは大きいのかと。
まぁ、
webもまだまだ工夫の余地が残されているとは思いますが。

あとはコマーシャルギャラリーのスタッフさん等は、
勿論所属しているギャラリーの作家等には詳しいのですが、
他ギャラリーを含めた全体的な事に関しては、
割と疎いと印象を受けます。
あくまで自分の雑感ですし、
いきなり会った自分にいえないことも多々あるでしょうけれど、
お客さんがこなくてもやる仕事が明確にある訳で、
他のギャラリーを回る時間も限られていると言うか、
ないというか。
その意味では作家兼ギャラリー運営をしている自主ギャラリーの方が、
情報としては詳しいような。
勿論コマーシャルギャラリーならではの知識はお持ちかと思いますが、
ある程度狭く深くと言った印象です。
また、自主ギャラリーにおいても、
他のギャラリーに皆足を運んでいるかと言えば、
人によってまちまちで、
あくまで傾向として詳しいかなと言った感じです。
制作と発表で一杯一杯で、
他まで足を伸ばせないと言った知り合いも多々いましたし。

まぁいずれにしても、
そうやってギャラリーを人が回っていくと言うことが、
ギャラリーをメディアとしての機能させる面があると思います。
生きた情報と言う意味では、
マスメディアよりもギャラリーの方が、
早いし、正確だし、深い様に思われます。
(個人の信頼のみで話してくれるので、
マスメディアの様な制限もないですし。
まぁ、どこまで話してくれるかはあくまで個々人の関係性、
そう言ったものを築けるかによるかとは思うのですが)

昔はマスメディア等の人間もギャラリーの人間も、
一緒に交流し一緒になってメディアを形成していたのでしょうが、
現在はマスメディアはメディア関係者内で、
ギャラリー関係者はギャラリー関係者内でと、
別々に情報を回しているような気がします。
程度の差はあれ、
昔よりかは別々となった気がしますし、
繋ぐ人もいないのかなと。
それだから元々写真家同士では評価の高かった人が、
何らかのきっかけでマスメディアに取り上げられた時、
あまりに頓珍漢なコメントをしているライターさんを、
よく見かけますし、
元よりマスコミ関係の人に対する信頼も低いですね。
少なくとも自分は。
作品を直接みないで、または時間を余りかけないで、
コメントしている人とうい印象しかないので。
勿論見ている人もいるのでしょうが、
量が違うかなと。
まぁ、他にやることが沢山あるのでしょうけれど。
朝まで話明かしたと言うマスコミの人などまず聞かないし、
いたとしても元々写真家だった人とか。
誰かのオープニングでちょこっと話す程度で、
腰をすえて話す機会等もほぼないですし、
そんな人にどう書かれようと書かれまいと、
どうでも良いと言うか。
まぁ、こちらが歩み寄ってない部分も強いのでしょうが。

あとは雑誌においての写真家の仕事が減っているというか、
昔に比べ限られていると言う傾向も原因の一つにあるのでしょか?
昔は雑誌と言うものが写真家の活動の場だった様な印象もありますが、
ここら辺は自分には良く分かりません。

人間同士のやることなので、
互いにやることがあるし、
次官の会う日と会わない人、色々でしょうが、
どうしても偏りは出てくるし、
信頼に足る情報と言うのもそれぞれだと思います。
現状マスメディアの写真に関する情報には、
自分は価値は見出せませんし、
また雑誌編集者に時間的な余裕がなくなっている、
と、いえるのかもしれません。

西脇に移る前、
地方では情報は自分で得ようとしてなれば得られないが、
その代わり要らない情報も入ってこないと言われましたが、
まぁ、その通りだなと思います。
また、得られる情報が限られる中で、
マスメディアの影響が強いのもよくよく分かります。
自分は信用してないですが、
結局は信用できる人の情報を信用する訳ですし、
そうなると足を運んで直接人との交流がないと、
信用なんて出来ない訳ですね。

webやsnsが発達する中で、
マスメディアというものは、
現場からどんどん遠ざかっているなぁと思う今日この頃です。
まぁ双方の責任なのかとは思うのですが。

展示を振り返ってのエッセイ(タビサキニニテヒナルデサキ)

昨年の夏に続いてのデジカメで撮影した作品で、
前回と大きく異なるのは、
撮影範囲が極端に広いこと、
あとはほぼ全ての画像のコントラスト等、
調整を行っている所だったりします。

基本的にはまず紙に焼く(プリントする)、
物質化することのメリットを強く感じてはいるのですが、
デジカメ自体安価な簡易的なもので、
紙媒体にプリントするとその粗が目立ち、
自分でもさすがに気になってしまうので、
そう言った粗が許容の範囲におさまる故、
”webのみ"での発表としています。

撮影する内容もさることながら、
普段フィルムを使っている中で展示記録にしか使っていない
”デジカメ”というものと、
どう向き合ったものかなぁと言う実験の意味でも、
自由研究の範疇な訳です。

画像の調整をするようにしたのは、
考えてみればフィルムにおいても、
特にモノクロでは暗室作業の中で、
コントラストは当然調整しますし、
場合によっては焼きこみもしている訳で、
撮影時のデータそのままでやることにこだわる必要性がないと、
思ったというか気付いたからでして。

正直撮影データそのままですと、
画像はのっぺりとしますし、
元よりファインダーが良くないのかもしれませんが、
撮影時にはつぶれていたはずの部分が、
PCのデスクトップ上ではしっかり出てしまうこともざらで、
基準となる部分が元々何だか分からない、
それだったら最後に確認するPC上を基準としても、
差し支えないとの判断より、
今回はそうしました。

また、
今回はどう言う訳だか、
追加撮影の機会にひどく恵まれ、
一旦並べまで完成した所より、
4~5回は新しく撮影したものを加え、
並べ替えると言ったことをしています。

自分は元々撮影と同時にプリントと並べを平行で進め、
撮影をここまでと決めたら、
程なくプリント、並べも撮影した分を加えたら完成で、
それ以降は手を加えなかったので、
(要は納得しないからと追加撮影をすると言うことはまずしないです)
一旦完成したと思ったところより、
さらに変わっていくのは、
面白くもあり、何やら戸惑った部分も強かったです。

そう言った形で変わっていく中の、
途中段階の内2回ほどを、
知り合いに手紙に添えてデータ(USB)を送ったのですが、
最終と途中とはどう変わったか、
どっちが良かったのか、
機会があったら聞いてみたいところです。

あとはタイトルやキャプションにもありますが、
”旅”と言う感覚が現状自分にはなじめない、
それは撮影に関してもそうですし、
単に身の置き方としてもそうで、
京都に行った折、
京都で待ち合わせた知り合いに、
”どこか行きたい所ある?”と聞かれ、
何も考えていなかったので結局相手の思いつく限りの場所を、
あれこれ案内してもらい、
何だか余計に手間をかけさせてしまい申し訳なかったなぁと。
よく”何食べたい”と言った質問に対し、
”何でも良い”と言う答えが一番困るといいますが、
旅に関して自分はそれに似た困った答えしか出来ないのかなぁと。
正直どこへいってもそれぞれ面白く思うので、
選ぶこと自体が必要ないというか選択自体を放棄していると言うか。

出不精と言う訳ではないのですが、
どこかまだ言ったことのない場所への興味よりも、
元々知る場所が、
その時々にどう違って見えるかと言う興味の方が強い様で、
あとはどこか今の場所から離れたとしても、
都会的であればどこか故郷に近く見え、
田舎であれば今住む場所に似て見え、
もしかしたら非日常感と言うものが、
薄れていることもあるのかもしれません。
(西脇はそこまで田舎ではないですが)
帰省なり用事があって遠出するとこが常態化しつつあり、
全ての土地が日常に組み込まれていってるとも言えるのかと。

ですから改めて見直してみても、
どの写真もそこら近所と変わらない、
身近な風景にしか見えませんし、
行った時のことを感慨深く懐かしく思うこともない訳です。
近所にある、
最近通ってないな、
と、ふと思う道と変わらないなと言うか。
だから機会があればまた訪れもするだろうと、
行ったら行ったで撮影したくなる衝動が高まる気もしなく、
ただひたすらにその時々に身を任せている感じで。
ですから用事が特になければ、
無理に遠出する気も起きないですし、
ひたすら近所を撮るだけで満足してしまいます。
そんな自分の気質を改めて確認したような気がしました。


展示を振り返ってのエッセイ(撮影者不詳1962-1972)


自分が写真制作をしている上で、
強く影響を受けた写真と言うのは、
主だった所で3つあって、、
一つは牛腸茂雄氏のself and others。
一つは長野重一氏の遠い視線の、
歩道橋の上より撮影された事故の写真。
そしてもう一つが、誰が撮影したかも分からない、
今回の写真郡となります。
(他にも好きな写真作品は沢山あるのですが、
制作に影響を受けたと言う意味ではこの3つかと)

牛腸氏はdeja-vuの特集からか、
死後改めて再評価されていることもあり、
メディアにおいても人気の高い作家なのかなと言う印象です。
長野氏はコニカミノルタ他、様々なコンペの審査員、
日本写真家の蔵書の編算にも関わっていたりと、
様々な所で日本の写真を牽引してきた実績もあり、
また、自分の周りの作家からの評価も非常に高いです。
何年か前にはタカイシイギャラリーが、
もっと海外でも評価されるべき作家だと言うことなのか、
ヴィンテージプリントを大量に購入したこともあった様に記憶しています。

それに対し今回の写真は、
メディア的な評価は全くないですし、
もとより自分においても、
知り合いの古本屋さんにプリントを依頼されなければ、
見る機会もなかったでしょう。
何を目的に撮影されたかも分からず、
誰が撮影したかも不明、
写っている被写体も他に比べ特段希少性の高い訳でもない、
(特に撮影当時はよくよく見る光景だったのではないかと思いますし)
言わば評価の後ろ盾が全くない写真な訳です。

それにも拘らず自分を魅了したことは、
写真がそれ単体として自立している、
作者の手を離れて尚、
人を魅了する強度を持っていたということなのかと思いました。

前述の2つの作品に関しても、
上記の様な情報を前もって知っていた訳ではなく惹かれたのですから、
同様に後ろ盾を必要とはしていないのでしょうが、
むしろそう言った後ろ盾のなさ、
写真として見逃されて消え去ってしまいそうな中、
古本屋さんの依頼をきっかけに巡り合った稀有さに、
感銘を受けたのかもしれません。
また、
これだけの写真が、
機会がなければこのまま誰の目にも触れることなく、
消え去っていただろうことより、
秀でているにも拘らず埋もれ、
消え去ってしまう写真と言うものが、
数多あるだろうといえるかも知れない、
環境の不遇も感じます。

増山しず子氏が、
村がなくなってしまうからと、
撮られた写真の様な取り上げられ方もあります。
最近では311の地震によりその稀少さから、
東北の地震前の写真の展示も多々見受けられます。
それらに比べても、
今回の写真は有象無象の一つ、
その稀少さに気付きにくい、
と言うのはあくまで比較の中でしか、
その尊さを認識してないからなのでしょう。
時代の経過により気付く場合も往々にしてあるのでしょうが、
その時間の中で大概は稀少さに気付く前に埋もれ消えてしまうのです。

もう撮影が叶わなくなった時、
結果的に撮っていたと言うのは、
一見すると偶然のようでいて、
あくまで撮影を継続的にしていたと言う、
撮影者による努力があってこそだと思います。
それが貴重な気がするのです。

貴重な稀少なものを撮るのではなく、
結果として貴重なものとなるわけで、
元より撮影の段階で何が貴重になるかなんて分からないわけです。

宮本武蔵を扱ったバガボンドの漫画の中で、
”自分考えるのは、あけてもくれても、この弱き命を全うさせること”
と稲作農家の男が言う台詞があり、
その言葉が最近特に頭に残っています。
弱き命とは稲のことをさし、そして今回の写真も稲と同様、
”弱き命”の様に思えます。
背景を喪失し、誰に求められるわけでもなく、
ただ写真として在し魅力的であること。
それを強く感じたが故に、
Ones Houseと銘打ってからの最初の展示で取り上げました。
自分の今の指針でもあります。

メディアに載るでもなく、
写真が写真としてその価値を全うし、
誰かの手元に渡る。
または記録として後世に残される。
作者の手元にいつまでもとどまるのであれば、
箪笥の肥やしにしかならないでしょう。
どんな形でもいいから、
人の目に触れることが望ましいし、
その中で一番大切にしてくれる人の手に渡るなら、
それが一番写真としても息の長いことでしょう。

メディア的な背景と言うものは、
あくまで選別により形成されるのだから、
当然数は限られます。
そうではなくより多くの写真を、と考えたら、
それはその土地土地で根をはるべきなのかと。
今回の写真に限らず、
優れた、残って欲しい写真は数多あるはずなので。
自分が目指す写真なり、写真のありようと言うものは、
そう言ったものなのかと思います。

追記

考えてみれば今回展示したこと自体の記述が一切なかったので、
とりあえずそこにも言及すると、
壁面においては一昨年の9月以来のモノクロの作品で、
前回は拡大コピーを単色でやった為、
えらく見難かったからとカラーでコピーをしました。
結果グラデーションはつぶれはせず見やすくはなったかと。
しかしながらシアンなり青系統の色かぶりが強く、
それは褪色するほどに強調され、
中々課題を残すこととなった様な。
特にハイライト部分の白く飛んだ部分と比較すると
(白く飛んだ部分は文字通り全く印刷がされず白のままだった)
あまりに不自然な印象が残り、
改めてモノクロの屋外展示の難しさを感じました。

あとはフライヤーを居酒屋の横のお客さんに見せたりする中で、
写真の稀少さ、良さを自分が感じるのに対し、
辛かった昔の生活を思い出してしまい、
見るのが辛いという意見もありました。
集団就職の写真についてはそう部分もあるのかなと思っていたけれど、
(その為屋外の展示には使わずwebのみの掲載としました)
フライヤーの写真にもそう言った印象があるのは、
自分は認識していなかったし不用意だったかなぁと。
まぁそこを気にしすぎたら何も出せなくなってしまうから、
仕方がないと言えば仕方がないのだけれど。

上でも書きましたが、
時間の経過により稀少になることは認識出来ても、
写真を残していくと言うのは中々難しいことなのかと思います。
どうしても撮影当時は、
技術的な高度さや当時としての稀少さ、
そこにばかり目が言ってしまう訳で。
逆算的に、稀少になるからといって全ての写真を残せる訳ではありません。
ただ、残す為には何らかの行動をしなくてはいけない気がして、
自分の場合は、それが発表となっている訳でして。
自分だけの力では残せはしない。
それ故にその良さを共有してもらうために人に見せるわけで、
人に渡っていくことが、
一つ協力を得ることなのかと思います。

西脇の写真を残そうとするなら、
西脇の人の手に写真が渡るとこが一番良い気がします。
一番大切に、長く所有してくれる気がするのです。

美術館なりメディア、海外のコレクター等が、
所有するのが悪いこととは思いませんが、
そうすることによって、
西脇の人が自分達が暮らす街の昔を写真で見る機会と言うのは、
一体どれ位あるのだろうかと。

都市部の人の目なり心を豊かにしても、
被写体なり舞台となった土地の人をすっとばすのは、
どうなのかなと。

まず写美に所蔵されたって、
足なんか運ばないと思いますし、
そもそも写美の存在自体、
写真に興味がない人は知らないと思います。
海外のギャラリーなら尚のこと、
足なんかまず運びません。
少なくとも自分は運びません。

実際西脇の知り合いと話す中で、
著名な写真家の作品と言うのを即座に思い描ける人等、
写真をやっている人、関心のある人でない限りでもそうそういません。
そんな中、
メディア等が西脇が写っているからと展覧会を、
西脇ですると言うことがあるのでしょうか?
採算のとれる都市部でやることが大体でしょうし、
あるとしても無料招待券を配ること位が精々だろうと。
現状の写真業界で自分が西脇の写真を撮影し発表し、
それが取り上げられたとしても、
西脇の人に見せる機会と言うのは圧倒的に後回しになるのかと思います。
他の土地を撮影したとしても、
それは同様のことなのかと。

現状でも機会がないとは言ません。
まだまだ自分が知らない部分も多いのかと思います。
ただ、
その試行錯誤としては圧倒的にまだ足りないと思いますし、
その環境の整備等も一向に進んでないように思います。

自分達がやっている写真活動とは、
やはりまだまだ一般に馴染みがないものだと思います。

展示を振り返ってのエッセイについて

自分の場合、作品を発表した時点で、
作品は作者から切り離される、
また、その為に発表していると言う気持ちがあります。

その為、一応は制作者ではあるのですが、
自分の書くことは自分から離れた作品を眺めた、
一観客としての意見であり、
解説ではないことを一応のお断りとして言及しておきます。

言わば作品を軸に他の鑑賞者と同等の意見であると言う認識です。

勿論、制作者と言う立場ゆえに、
並べの成り立ち、制作方法等の言及もあるのですが、
例えば、被写体について言えば、
自分は撮影の時にしか関わってないことも多々あるわけで、
逆に被写体を自分より他の鑑賞者の方が詳しい場合もある訳です。

蛇足かもしれませんが、
そう言った前提の下お読みいただければ幸いです。