ones-house 補足と感想と考察と雑記

Ones House についての、説明補足と、やっていての感想です

展示を振り返ってのエッセイ 街の記憶

元々はbook sketch tripでの呟きを起点に、
3月で取り壊される家を撮影させていただいた方に、
手紙を書く中で思いついた考えで、
そう言ったきっかけにより、
自分がぼんやり思うことが言語化される、
ともすれば考えなり言葉もまた、
一人で作れるものではないのだろう、
と、
言うのはよくよく思った。

展示としては、
街の記憶としているのもあり、
状態的ではなく、
ある程度限定的(風物詩的なもの)を中心に選んだつもりで。
特にフライヤーに使った朝霧などは、
自分も西脇に住み始めて初めて経験したし、
人に伝えようにも言葉では余りに漠然としているから、
写真と言う形に直せたのは良かったのかなぁと。

実際西脇に住んでいる人に見せても、
ここ野村大橋?
と驚かれることも多いので、
その意味では貴重なのかなと。

西井さんの本の中で、
ホロコーストによって存在自体を、
歴史から葬り去ろうとされたことに、
頑として抵抗した写真行為、
と言うこととは比較にはならないだろうけれど、
それでも西脇にこれだけの霧が出る
(写真に写るくらいは)
と言うのを示す程度位には貴重なのかなと。

どんなに実力があろうが、
お金を積もうが、
その場にいない限りは撮れないものというものはあって、
そう言ったものに対する敬意というのは、
全てに等しく必要だなぁと。
メディアで取り上げる条件と言うものとは、
違うことは重々承知だけど、
見たい人、使いたい人が、
使える程度には保護されて欲しいものだと思った。

あとは、
一つ区切りとして、
写真を撮影した地元の人に見せる意義、
と言うのは自分の中で消化と言うか納得できる感じには、
考えを取りまとめれたと思うのだけれど、
これからF現して発表するつもりでいる、
西脇以外の写真を西脇の人に見せる意義というのが、
一つ課題と言うか、自分の中に消化し切れていない所でもあるので、
そこを真摯に考えていければと。
そんなことを思った。